愛のある人になる方法(スピリチャル編)


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愛情深い人の特徴

愛とは何か?愛の意味
そもそも愛とは?愛の本当の意味。人生が繁栄するコツは愛を広げること。



バス男
「なんだよ、この太刀魚の刺身は。・・ブツブツ」


バス子「ちょっとぉ、自分も魚のクセに辞めなさいよ。バス男さんは仙人の【愛のある人になる方法スピリチャル編)】の話、聞いていないの?」


バス男「え?仙人様の【人生が繁栄する秘訣は愛を広げること】の話?」


バス子「うん。仙人が言うにはね・・」






〜愛とは?愛するとは?〜

1.愛の意味を知る

@とあるスーパーにて



今回は、
愛のある人になる方法(スピリチャル編)です。

愛とは?愛するとは?【愛する対象の範囲】の話です。




このサイズのアジ2匹で400円もするのか。じゃあ、この前釣ったアジも・・

スーパーの鮮魚コーナーにて、釣りをする私は、買うつもりもないのに新鮮な魚を物色していました。

すると、トレーに入れられた鯛の刺身が目に入ってきたのでした。



ほ〜。鯛の刺身かぁ。美味しそうだな。

プリプリとした新鮮な鯛の刺身に「
美味しそう♪」と思っていると。

その隣に置かれていた{鯛の刺身の姿造り}が目に入ってきて「
うげー」と気持ちが萎えてしまったのでした。

トレーに詰め込まれていた{鯛の刺身の姿造り}をよく見てみれば。

鯛は、悲しげな、寂しげな目をしているのでした。

この鯛だって、捕まる前は、大海原で仲間達とともに楽しく自由に泳ぎまわり生活をしていただろうに・・

そう思うと、私の目も、悲しげな、寂しげな目と変わっていくのでした。


<「美味しそう♪」が「可愛そう!」に変わった>
両方とも、鯛の刺身に変わりないのに、「美味しそう♪」が「可愛そう!」に変わった理由は。

私の中で
{認識の仕方}が変わったことを意味しているようにも思われたのでした。

言い換えると、私の中で{人間の食べ物}と知覚されていた刺身が。

{同じ地球に生きる同胞である鯛の死骸}と知覚されることになったようにも思われたのでした。

トレーに入れられていたのは、ともに刺身であり、ともに物質であるのに。

{姿造り}を見ると、{認識の仕方}が{同じ地球に生きる同胞である鯛の死骸}に変わってしまい、私には「可愛そう!」と感じられ、「食べたい!美味しそう♪」などの気持ちが萎えてしまったようでした。


「よくよく考えてみれば、{同じ地球に生きる同胞を殺し食べる}をしているわけか。」
「うげー」と思いつつ姿造りのトレーを眺めていると、私の中で、それが人間の‘姿造り/刺身’に変わっていくイメージが湧きあがってきて・・もっと「うげー!!」となっていくのでした。

「こ、この{姿造り/刺身}がもし人間であれば、要は、頭(顔)と、足だけそのままで、腹の肉だけ刺身状態に切り分けられて、トレーに詰め込まれている状態となるんだよね?」
自分の脳内で{人間の‘姿造り/刺身’}が想像されてしまい、私は慌てて頭を左右に振り{脳内の想像}を消し去ろうとしました。


「ふーむ。でも、どうして、私達は魚の{姿造り/刺身}は当たり前のように食べるのに、人間の{姿造り/刺身}になると、ものすごい拒絶反応が起きるのだろう?」
私の意識は、そこから自分の内へと深く入り込んでいくのでした。

肉体は鮮魚コーナーの前に残したまま、まるで刺身の購入を迷っているかのように、難しい表情を浮かべつつ・・。



A愛することの意味
魚の刺身とは、‘物質’でもあります。

単なる物質に、{刺身}という名前を与えて、私達が、そう認識しているだけでもありそうです。

そして私達は、単なる物質である刺身を、{同じ地球に生きる同胞である鯛の死骸}と認識すると、食欲が減衰してしまう場合もあるのかもしれません。


同じく、人間の死骸は、‘物質’でもあります。

単なる物質に、{死体}という名前を与えて、私達が、そう認識しているだけでもありそうです。

そして私達は、単なる物質である死体を、{大切な同胞である人間の死骸}と認識するために、「刺身にして食べよう!」とは思うことがないようです。


<なぜ、{魚の刺身}は食べるのに{死体の刺身}は食べることが出来ないのか?>
{魚の刺身}も{死体の刺身}も、ともに物質であり、物理的には両方とも食べ消化吸収することが可能
です。

しかし私達は、{死体の刺身}は食べようとは思えません。

この差は、慣例や習慣、道徳心の差・・などでもありそうですが、それともに‘
意識の差’でも、あるのかもしれません。


ブタがいた教室 (通常版) [DVD]」として映画化もされた書籍豚のPちゃんと32人の小学生―命の授業900日は。

小学生達が、愛情をもち世話して育てた{豚のPちゃん}を、「最終的にどうするか?食べるのか?」について悩み考えた実話だそうです。

子供達は、愛情をもち世話して育てた{豚のPちゃん}を、すんなりとは食べることが出来なかったようです。

普段は豚肉を食べているのに。

これは‘意識の差’でも、あるのかもしれません。

言い換えると、「どう認識するか?‘家畜’として認識するか?‘大切な仲間でありペット’として認識するか?」という差でもあり・・

どこまで愛する対象を広げるか?}の差でも、あるのかもしれません。


<どこまで愛する対象を広げるか?>


私達は、自分自身を愛しているようです。

そのため、自分自身のことは大切にするし、自分自身の幸せを願うようです。

つまり、愛すれば。

愛すれば、愛した対象のことを大切にし始め、その愛する対象の幸せを願うようになるものなのかもしれません。

{豚のPちゃん}を育てていた子供達は、それまで豚を愛していなかったのに。

愛情をもって世話をするなかで{豚のPちゃん}を愛するようになったため、愛した{豚のPちゃん}のことを大切にするようになり、その愛する{豚のPちゃん}の幸せを願うようになったのかもしれません。

そのため、{豚のPちゃん}を、すんなりとは食べることが出来なかったのかもしれません。

この事例より。

私達は、対象を愛すれば、愛する対象を自分のことのように大切に思い始め、愛する対象の幸せを願い始めてしまう・・ということも言えそうでし。

逆を言えば。



私達は自分
だけを愛し、対象を愛さずにいると、対象が{愛する可愛い自分の幸せのために利用/活用する道具}にも見えてきてしまう・・ということも言えるのかもしれません。

私達は、自分を食べようとは思わないようです。

愛する自分自身を大切にしているからでしょうか。

私達は、自分の子供を食べようとは思えないようです。

自分の子供は、半分、自分でもあるからでしょうか。

愛する自分自身の分身でもあるような愛する子供のことは大切にしているから、自分の子供を食べようとは思えないのかもしれません。

私達は、人間を食べようとは思えないようです。

人間を、「同じ仲間/同胞」だと認識しているからでしょうか。

「同じ仲間/同胞」である人間に対して、やっぱり心の深い部分では愛を感じているから、私達は、人間を食べようとは思えないのかもしれません。

私達は、ペットの犬を食べようとは思えないようです。

犬食文化をもつ国々では食用に飼育された犬も存在するそうですが、愛情をもって育て可愛がっている犬のことは、食べようとは思えないようです。

ペットの犬に対して、愛を感じているからでしょうか。

でも私達は、牛や豚を食べるようです。

牛や豚のことを、「同じ地球に生きる仲間/同胞」とは認識しておらず、また愛してもいないからでしょうか。

これらは、{愛の範囲}でもあるのかもしれません。

愛する範囲を、どこまで広げるか?」という問題でもあるのかもしれません。

愛すれば、愛した対象を大切にし始め、愛する対象の幸せを心から願い始めることになるから・・

バス男愛とは「大切にすること」そして「幸せを願うこと」か」


〜「愛する」とは?意味 → 大切にし、幸せを願うこと〜




例えば、A子さんは、自分自身を愛しています。

だからA子さんは、自分自身を大切にし、自分自身の幸せを心から願っているようです。

そんなA子さんは、また、自分の家族を愛しているようです。

そのため家族を大切にし、家族の幸せを心から願っているようです。

でもA子さんは、嫌いな、職場のL子さんのことは、大切にしていないようでした。

不幸が起きて、L子さんなんて不幸せになれば良いのに!」と内心思っているようでした。

それはA子さんが、L子さんのことを、仲間とは認識していないし、愛してもいないから・・なのかもしれません。

そしてA子さんは、好きでも嫌いでもない他者達のことは、興味がないようでした。無関心のようでした。

つまり、A子さんの場合。

愛する対象が、自分自身と、自分の身近な自分の好きな人たちに限定されているとも言えるのかもしれません。

これらは、{愛する対象の範囲}でもあるのかもしれません。

私達にとって人生の問題の多くの根源は、「愛する対象の範囲を、どこまで広げるか?」という問題でもあるのかもしれません。

愛すれば、愛した対象を大切にし始め、愛する対象の幸せを心から願い始めることになるから・・



A私が愛されない理由や原因とは?


「今さえ良ければ良いんだ/自分さえ良ければ良いんだ/金さえ手に入れば良いんだ!」

破滅的な原則に根ざして生きている{自分だけを愛している私}は、ついつい{愛する可愛らしい自分}の幸せのために、他人を利用してしまったりも、してしまうところがあるのでした。

破滅原理vs繁栄原則。人生で【失敗する人の特徴】と【成功する人の特徴】

そのため、たとえ他人のことを愛していても、愛することによる見返りを期待できないと思えば、愛することをやめてしまうところがあるようなのでした。

つまり私の場合、「他人を愛する」と言えど、愛している対象は‘他人’ではなく、結局、自分だけのようなのでした。


〜見返りを求める愛 → 愛している対象は「相手」ではなく「自分自身」〜


小学生達が豚のPちゃんを愛し始めると、豚のPちゃんのことを大切にし、豚のPちゃんの幸せを願い始めたように。

もし、私が{自分自身のこと}だけではなく、{他人のこと}をも本当に愛したならば。

私は他人のことを大切にし、他人の幸せを心から願うことになり、仮に見返りが期待できないとしても、他人の幸せを変わらず願い続けることになるのかもしれません。

それは、子供を無条件に愛する親が、子供が親の言うとおりにしなくても、根底では変わらず子供を愛し続け、子供の幸せを心から願い続けるのと似ているのかもしれません。

ついつい、自分だけを愛してしまう私は、{愛する可愛らしい自分}の幸せのために、他人を利用してしまったりも、してしまうことがあるのでした。


<私の愛している対象>
★人間 → 自分自身
とごく少数の身近な人だけ
★動物 → 自分家(実家)で飼っている犬だけ


つまり、私の愛する対象は主に自分だけであり、他人を愛してはいないようなのでした。

私にとって、他人とは、自由な生き方の名言/格言(相対性の罠から抜け出す)にあるとおり。

ライバルであり競争相手であり、{愛する可愛らしい自分}の幸せのために、活用し利用する対象でもあるよう思われました。

自分がそう、自分だけを愛して、他人を愛さないから。

他人からも愛してもらえず、私は孤立していき・・・

自分がそう、自分だけを愛して、他人や動物を自己都合で利用したりするから、他人から警戒され嫌われ、私は孤立していき・・・

破滅原理と繁栄原則(2つの原理原則)にもあるとおり。

私は他人から嫌悪感をもたれていき、(長期的には)いつも自分自身が苦しむことになっているようにも思われたのでした。


〜自分だけを愛する場合 → 始めこそ要領良く思えるものの長期的には自分自身が苦しむことになる〜




一方、
繁栄的な原則{正直/誠実/感謝/奉仕/謙虚/良心/他者の幸せを願う心}に根ざして生きている人ならば。

他者の幸せを願う心から、他人に対して奉仕・貢献し、他人に対して奉仕・貢献するから、他人に愛を感じることになり、愛する対象が他者へと広がっていき・・

みんなことを愛するから、皆からも愛され、皆から愛されるから皆から大切にされ幸せを願ってもらえるようになり、(長期的には)繁栄する人生を歩むことになるのかもしれません。

他人に対して奉仕/貢献すれば、他人に対してを感じることにもなるのかもしれません。

小学生達は、なんでもない
子豚に対して、奉仕・貢献(一生懸命にお世話をする)をし始めたから、なんでもない子豚に対して愛を感じ始めることになったのかもしれません。

子供を愛する親も、子供に奉仕・貢献(一生懸命にお世話をする)をするから、子供に対する愛が深まっていくのかもしれません。

地域社会に貢献する活動に積極的に参加していると、地域社会に対して愛が芽生えてくるのかもしれません。

そして地域社会を大切に思い始め、地域社会の発展を願い始めることになるのかもしれません。

この世界に対して奉仕/貢献していると、この世界に対して愛が芽生えてくるのかもしれません。

そして、この世界を地球を全人類を大切に思い始め、{世界や全人類}の発展を願い始めることになるのかもしれません。

逆を言えば。

他人達に対してを感じないならば、他人達に対して、奉仕や貢献をしていないからなのかもしれませんし、

この世界に対して無関心であれば、それは、この世界に対して、奉仕や貢献をしていないから・・なのかもしれません。

バス子「愛するとは、奉仕や貢献をすることね」


〜愛する方法 → 奉仕や貢献をすること〜




無名な賢者も、有名な賢者も、偉大なる先生方は、
奉仕/貢献をされていて。

だからこそ皆に対して愛を感じていて・・

そのため、あれほどまでに愛が広くて深い{愛深い人物}であられるのかもしれません。

つまり、愛のある人とは、愛情深い人とは・・

愛が広くて深い
{愛深い人物}とは【愛する対象】が広いでもあるのかもしれません。


マザー・テレサ
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)
マハトマ・ガンディー(インド独立の父)

ついつい自分にだけ向けられがちな愛を、他者へと、皆へと、{広げていった人}もしくは{広がった人}を、{愛のある人/愛深い人物}と言うのかもしれません。


<先生方の愛している対象>
★人間 → 全ての他者
★動物 → 全ての動物




上動画や、エネルギー問題の解決策(人間や現実の正体)に詳細はあるとおり。

スピリチャル的な話になりますが。

全ての他人、全ての動物含む、全ての全てが、自分と同じ1つであるならば。

全ての他人、全ての動物が、本質的には、自分自身の1側面、1部分であるならば。

本当は、全ての他人や、この世界の全てを愛することが、自然な姿でもあるのかもしれません。

だからでしょうか。

私達は本当は、{皆のことを無条件で愛したい!(皆も本来は自分自身だから)}という気持ちを心の奥底でもっていて。

その気持ちと、肉体に宿ることで芽生える自我意識{自分は自分は自分は自分は!自分が自分が自分が自分が!}との狭間で、悩んでいたり、苦しんでいたり、しているのかもしれません。


肉体に宿ると{自分}という感覚が、‘自分という肉体’・・つまり、1個人に限定されてしまうのかもしれません。

書籍/あるヨギの自叙伝によると。

スピリチャル的ですが、肉体から抜け出て、本来の視点に立ち返ると{全てが自分自身である}と知覚されるそうです。

※幽体離脱とはまた違うそうです。幽体離脱は肉体からは抜け出ているものの個我の意識からは抜け出ていないため。



上動画が、詳しいです。

他人も、牛も、山や川すら、{全てが自分自身である}と感じられる・・

「川の流れ・・」「人の動き・・」全てが‘私’の中で、行われている、、、と知覚される、、、

肉体から抜け出て、意識が本来の意識にまで広がると、他人と思えていたAさんまでが{自分自身である}と感じられる。

そのことは逆を言うと、私達は‘自分という個我意識’から、生まれてから今の今まで抜け出たことがないため、この世の全体像が見えておらず。

ついつい自我意識{自分は自分は自分は自分は!}に過度/過剰に囚われすぎていて、逆に、自分自身が苦しむことになっているのかもしれません。

もし仮に、視界に入る全てが、感じられる全てが、{全てが自分自身である}と知覚されるならば。

相手を見ても、「自分自身だ」と感じてしまうならば。

どうして、相手のことを見下したりバカにしたり、相手を利用しようとしたり、相手の不幸を願ったりするでしょう。

そしてだからこそ先生の愛は、形容しがたいほどに、深く広いのでしょうか。



<この世/この世界>に対する認識の仕方を変え。

繁栄的な原則{正直/誠実/感謝/奉仕/謙虚/良心/他者の幸せを願う心}を大切にし。

ついつい自分にばかり向けられがちな愛を他者へと、この世界の全てへと、広げて生きていくならば。

長期的には他人からも愛され、繁栄した人生をおくることになり、自分自身も救われることになるのかもしれません。

愛の原則は{
(他人のことを)愛すれば(他人からも)愛される}だから。

言い換えると。

{(他人のことを)大切にすれば(他人からも)大切にされる}であり、{(他人の)幸せを願えば(他人からも自分の)幸せを願ってもらえる}だから・・。


〜愛を他者へと広げる場合 → 始めこそ自己犠牲を感じる場合もあるものの、長期的には他者はもちろん、自分自身も救われることになる〜
※ここで言う自己犠牲の‘自己’とは、「自分は自分は自分は自分は!」という自我意識における自己。



Bスーパーの鮮魚コーナーで学んだこと
ねぇ、ママー。お魚がいっぱいいるよぉ!

ふっと意識が戻り視線を下げると。

子供がバタバタバターと鮮魚コーナーへと走ってきている様子が目に入ってきました。

私が半無意識的に「子供のうるさい声で思考が途切れてしまった。」と思っていると。

子供の後ろから母親が駆け寄ってきて、しゃがみ込み視線を子供の高さに合わせ、なにやら子供に話しかけるのでした。

どうも優しく注意しているようにも思われました。

そのまま何気なく視線を上げると、その母と子の様子を、慈しみ深い微笑みを浮かべつつ横目で眺めている年配の女性が視界に入ってきたのでした。

「あっ!」その瞬間、直感的に気がつきました。

私は子供のことを{うるさい邪魔者}として見ていて、この年配の女性は子供と母親のことを{大切な仲間}と見ている、と。

女性の目には深い愛があったから・・。


私よ、思い出せ。
私はそう、他人のことを{うるさい邪魔者/ライバル/嫌いな人/消えて欲しい敵/自分より下の劣った者/自分より上の羨ましく腹だしい人}などと認識するから、


他人との対立関係に入ってしまい、イライラすることになり、自分自身が苦しんできているではないか。

そうではないのだ、私よ。
私に必要なのは、視界に入ってきた他人を「あ、この人は良い人。」と判断したり、「あの人はなんだか腹だしいから嫌い!」とジャッジしたり、「この人は腹立たしい。この人は、不幸になれば良いんだ。」と他人の不幸を願ったり、「ふっ。この人は自分より下だな。」と見下したり・・し続けることではないのだ。

私に必要なのは{他人を愛する心}なのだ。
私に必要なのは、全ての他者を{大切な仲間}と認識することなのだ。

そしてそう、全ての他人を愛し、全ての他者を{大切な仲間}として認識することで、自分の世界の中で{嫌いな人/目障りな人/憎らしい人}が激減していきイライラする機会が減り、人との対立も激減しストレスも減り、皆から愛される頻度は増えて他者はもちろん、自分自身が救われることになるのだ。



「はぁ〜。」私は、結局、いつも自分だけを愛していて、いつも見返りばかりを求めてしまっているし、他人を(無意識のうちに)利用してしまったりもしていて・・

愛深い、愛のある人である年配女性の横顔を見ると、口先だけの自分が情けなく思え、落ち込んだのでした・・。



<ついつい、自分にだけ向けられがちな愛を、他者へと広げる>


大切な仲間であり、自分自身でもあるAさんの幸せを心から願い、Aさんに奉仕/貢献するならば。

Aさんに対する愛が芽生えてきて、Aさんからも愛が返ってくるのかもしれません。

ライバル視している嫌いなBさんに対しても、「Bさんも大切な仲間であり自分自身なのだ!」と認識し直し。

Bさんの幸せを心から願い、Bさんに奉仕/貢献するならば。

Bさんに対する愛が芽生えてきて、嫌いだったBさんからも愛が返ってくるのかもしれません。

「全ての他者が{大切な仲間}であり、全ての全てが本質的には自分自身なのだ!」と認識し。

皆の、この世界の幸せを心から願い奉仕/貢献するならば。

みんなに、この世界に対する愛が芽生えてきて、皆から、この世界から、受け取れないほどの愛が・・・たくさんの愛が返ってくるようになり、愛に包まれた幸せな人生を生きることになる!

そう信じて、コツコツと精進していければ、、、とも思い直し。

心の中で子供と母親に対して微笑み「幸せが続きますよに!」と願い・・

幸せな世界に変える方法(ジャッジ(判断/裁き)するのではなく・・)の時も買い忘れた七味唐辛子を探すために、鮮魚コーナーを後にしたのでした。


〜追記〜


他人を愛するには、自分自身に
心の余裕や、ゆとりが必要ですよね。

心の余裕を保つには
経済的な余裕も大切であり・・

経済的な余裕作りには{仕事選び}と{投資/副業}が重要となります。

賢い就職や転職の仕方など、以下の記事が詳しいです。

@職種別!おすすめ転職サイトと転職の仕方(ハローワーク以外)(職種別!転職サイトと転職のやり方)

A既卒やフリーターにお勧め就職サイトはコレ(既卒やフリーター専用の正社員就職サイト)

B副業で月3万円稼ぐ私の方法2つ!随時更新(月3〜5万円の副収入を稼ぐには?)

C月1〜2万円の副収入を手堅く投資で稼ぐ私の方法(副収入を稼ぐには?)


〜まとめ〜
@私達は、自分のことを大切にするし、自分の幸せを願っている。
自分の車や家、自分の服も大切にするかもしれない。
それは、自分を愛しているから・・なのかもしれない。

つまり、愛すれば、愛している対象を、大切にし、愛する対象の幸せを願うようになるのかもしれない。


Aそのため、他者/他人/相手の幸せを願えるようになるためには、相手を愛するようになる必要があるのかもしれない。
そして、相手に対して愛を感じるようになるためには、この世界に対する根本的な認識の仕方を変えることや、相手に対して奉仕・貢献することも大切となるのかもしれない。


Bこの世界や他者に対して、愛を感じられないのであるならば。
この世界や他者に対して、奉仕や貢献を行い、無私の心(見返りを求めることのない心)で尽くすようにするのも、愛を感じるための方法の1つとなるのかもしれない。


C微笑みかければ、睨みつけるよりも、相手から微笑んでもらえる確率が高くなるのと同じく。
相手を愛すれば、そうでない場合よりも、相手から愛してもらえるものなのかもしれない。

そのため、より多くの人を愛せば・・言い換えると、より多くの人へと愛する対象を広げるならば。
より多くの人から、たくさんの愛が返ってきて、たくさんの人から愛される幸せな人生となるのかもしれない。


D晩年に、地域社会に対して、幅広く奉仕貢献を始める人もたくさんいる。
その理由の1つは、(子供含めた)家族に手がかからなくなり、愛する対象を、より広く広げることが可能となるから、なのかもしれない。
つまり、私達は元々、みんなのことを愛していて、みんなのことを愛したい気持ちをもっていて、みんなのために貢献したい気持ちを心の奥底にもっているのかもしれない。

だからこそ。
その{心の奥底にある愛}を、惜しみなく表出することにより、みんなを愛すれば。
「愛したい!」という欲求が満たされ、自分自身も救われるであるし、みんなも救われ・・また、皆のことを愛することによって皆から愛が返ってくることにより、自分自身も皆から愛され、自分も皆も、ともに幸せになっていけるのかもしれない。

<writer 名無き仙人>


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バス男「僕は鯛じゃなくて良かったぁ。」


バス子「バス男さんも鯛なら、トレーに入れられるところだったわね。」


仙人「関連記事としては、愛を夫婦で育むコツ(2種類の愛)や、家族愛の意味(カタルシス{浄化}を経験する)もお勧めじゃよ。」


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