責任転嫁する人の特徴と【自己責任の考え方】をもつ方法


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責任転嫁する人と自己責任の考え方の人の特徴や違い

人生は自己責任はおかしい?当たり前?
全責任を自分でとる覚悟の‘影響力’。



バス男
「(ぐ〜ぐ〜・・ムニャムニャ)」


バス子「起きなさいよ!どんな人生になっても、自己責任よ?」


バス男「ぅん?自己責任の考え方は、おかしいよ!」


バス子「もう。仙人の【自己責任の考え方は、おかしい当たり前?】の話、聞いていないの?」


「仙人様の【責任転嫁する人心理】の話・・」






〜全責任を自分でとる覚悟の‘影響力’〜

1.自己責任の覚悟をもつ方法

@個人的事例



社会人になってから、私は、こう言うようになりました。

人生なんて、良いことないよ

私も必死だったのです。

「人生なんて、良いことないよ。」と人生を諦めている
フリをしていましたが、本気で諦めるのも恐くて・・

でも、だからといって人生を積極的に生きても、幸せになっていく自信が持てないため・・

人生を積極的に生きる姿勢でいて、それで不幸せになってしまえば。

私は、頑張ったのに幸せになれませんでした。無能な情けない駄目人間だったことが、あらためて証明されました

となってしまうため、そうなるのが恐くて・・

だからこそ。

「人生なんて、良いことないよ。」と人生を諦めているフリをすることで。

現在の不幸せな状況を、{自分の能力のせいではない。今、私は本気で幸せを求めて、頑張っているわけではないしね。}という言い訳を残しておくことで、「己の人生の幸せ」に対する責任逃れを必死に行っていたのです。

責任転嫁する人の心理→自分の人生の責任をとりたくない!

でも、やっぱり幸せになりたくて・・

でも、不幸せな状況に対する言い訳をもっていないと恐くて・・

そして、「己の人生の幸せ」に対する全責任を自分でもつ勇気もなくて・・。

だからこそ。


「政治が悪いせいで、私は不幸だ!」
「世の中が不景気なせいで、私は不幸だ!」
「生まれもった顔や低身長のせいで、私は不幸だ!」

と、自分の不幸の原因を、外部のせいにして責任逃れしつつ、愚痴ばっかり言いながら、不満を多くもって生きていました。

責任転嫁する人は、「人生の{幸せ}や{不幸}の原因は自分自身だ」と認めるのが恐い心理をもっている。

そして、「私は外部の影響のせいで不幸な可愛そうな人間なんだ。だから、そんな私に、なにか頂戴!」

と、イライラを他人に撒き散らしながら。

人に与えたり貢献したりすることはしないのに、貰ってばかりの、時には他人から奪ってばかりの人生を歩んでいました。

自分は他人に与えたり貢献せずに、貰ってばかりでしたが、「与えずに、貰ってばかりの方が得だ!最小の労力で、最大限の得を手にしているわけだから。 こんな生き方の方が要領が良いよね。」と思って生きていました。


しかし、そのような‘心のあり方’や「生きる姿勢」で生きていると、人からも嫌われ、人生がどんどん、力強くマイナス方向にばかり進んでいき・・

挙句の果には人生が辛すぎて、楽しいことは1つもなくて・・


「このまま、辛い気持ちで死ぬまで生きていくことになるのは嫌だ!」

こんな人生、早送りした方がマシとすら思えていましから。



【転生仙術】により自分を変えるよう努め始めることになっていきました。

潜在意識(観念)を書き換える方法【転生仙術】

バス子「責任転嫁する人の末路は、悲惨ね」



時の経過は早いもので、あれからもう、10年以上が、経とうとしています。

起きた変化は、私の人生の多様な面に広がっているわけですが。

その1つは、
人生の全責任を自分でとる覚悟が、意識レベルでも潜在意識レベルでも、もてるようになったことでした。

人生の全責任を自分でとる覚悟の‘影響力’は大きく、あれから何年も経った今でも・・日本の場末にて、ひっそりと1人で、



「どうして世の中は、人生の幸/不幸の‘責任’が誰にあるか?の部分が曖昧な風潮があるんだ?・・その理由はわからないが、もう、世の中の風潮にはお付き合いしないようにしよう!
私は今後、私の人生の幸/不幸の‘全責任’を自分でとることにしよう!それで不幸になってしまえば、私の無力さ・無能さがあらためて証明されるわけだが、もう良いじゃないか。その時は、その時だよ。
私が有能だろうと無能だろうと、そんなことはお陰様で?か知らないが、もうこの年齢だし、誰も興味をもっていないし・・
残りの数十年も続く人生、常識や、他人の評価や人の目なんて気にせず、自分が幸せに生きていけるために、最善を尽くそう!」

そう決意したことを、今でも覚えています。

私の人生は「自己責任の覚悟」を決意した瞬間から、少しづつ動き始めたのでした。

幸せの原因や、不幸の原因は、もしかしたら他人や、世の中にあるのかもしれない。
でも、責任自体は・・「人生が辛い」という感情を感じるのは、自分だよ。そこは責任転嫁できないよ。




A自己責任の考え方は当たり前?おかしい?


仙人自己責任の考え方基本じゃよ」

己の人生の幸/不幸に対する責任を、自分でとるか?それとも外部のせいにして自分では責任をとらないか?という問題は、
@「幸せ」になる力は、自分がもっているのか?
A「幸せになる力」を自分は持っておらず、自分は己の‘幸せ’すらも自分で獲得出来ない無力人間で、‘幸せ’は外部要因によって決まってしまうのか?

という話に関係する問題とも言えそうです。

@なら、幸/不幸の全責任は自分にあることになります。

もし不幸なら、幸せになるための頑張りを自分が怠っていることが原因で、外部のせいではありません。

Aなら、不幸であっても、不幸の原因は自分にはありません。

不幸なのは、外部環境や他人のせいです。

しかしAの場合、自分の力で人生を幸せにしていくことすら出来ません。

@は厳しい考え方ですが、頑張れば幸せになれる可能性があるわけですから、頑張りがいがあるため前向きになれやすいようです。

Aはやさしい考え方ですが、頑張っても‘幸せ’は外部要因によって決まるために頑張り損となるため、「どうせ頑張っても無駄だよ。」とマイナス思考になり、やる気も出ないようです。そのうち、{自分は無力な人間}と自己評価し始め、うつ病などの心の病気になることも多いようです。

不幸の原因を他人や、世の中に責任転嫁すると「自分には、自分で幸せになる力がありません。」と宣言することになるので、無気力になるし、惨めな気持ちになるよ。

さて、‘幸せ’は、どこかの場所にあるのではなく、いつも己の心の中にだけ存在するのに、どうして外部の要因が、己の‘幸せ’と関係するのでしょうか?

外部である他人(恋人や伴侶、友人関係)に、己の
幸せ依存しているから、Aの考え方になるのかもしれません。

外部である他人は、自分の頑張りではコントロール出来ませんから。

他人は、他人様の自由意志のもと生きているため、自分が努力しても操ることもコントロールも出来ません。ですから、
「もっと恋人or伴侶が、変わってくれたら、私は幸せになれるのに!」
「職場のAさんが変わってくれたら、私は幸せになれるのに!」
「親or子供が、もっと変わってくれたら、私は幸せになれるのに!」
「素敵な人との出会いがあれば、私は幸せになれるのに!」
と、不幸せな原因を他人や外部のせいにして、愚痴を言うことになるようです。

しかし、
‘私が幸せになるため’に、他人は変わってくれません

‘私の幸せ’のために、‘私の都合’のために、他人は変わってくれないのです。

他人は、‘私’を幸せにするために生きている‘私’の召使ではないからです。

そして「恋人or伴侶や、職場のAさんは変わってくれない。私はこんなに働きかけているのに!」「素敵な異性に出会えない可愛そうな私」と、被害者意識をもって一生、生きていくことになるのかもしれません。

責任転嫁して「悪いのは妻だ!夫だ!」と言っても、相手は自分の幸せのためには変わってくれないよ。でも、自分は変わることが出来るよ。

また、外部である経済状況や所有物(車や家)、地位や肩書きに、己の幸せを依存していると、Aの考え方になるようです。

外部である経済状況や所有物は、自分の頑張りで完全にはコントロール出来ませんから。

世の大きなトレンドが不景気なら、個人的な経済状況も不景気になりがちですし、自分が努力していても、お金やモノは、他人から奪われることだってあるからです。

地位や肩書きだって、自分が努力していても、不幸によって突然、失うこともありますし他人から奪われることだってあります。

ですから、
「もっと世の中の景気が良くなったら、私は幸せになれるのに!」
「私から○○を奪うAさんさえいなければ、私は幸せになれたのに!」
と、不幸せな原因を他人や外部環境のせいにして、愚痴を言うことになるようです。

しかし、‘私が幸せになるため’に、世の経済状況は変わってくれません。

‘私の幸せ’のために、‘私の都合’のために、勤め先の会社も社会も他人も変わってくれないのです。

他人も会社も世の中も、‘私’を幸せにするために存在している‘私’の奴隷ではないからです。

そして「世の中も政治も会社も変わってくれない。私はこんなに働きかけているのに!」と、被害者意識をもって一生、生きていくことになる場合もあるのかもしれません。


己の‘幸せ’を、{他人/お金/モノ/地位/肩書き}などの外部に、過度に依存するのも考え物かもしれません。
関連執着心を捨てる方法

本来、己の‘幸せ’は、外部とは関係なさそうです。

↑写真の修行僧の彼は、{他人/お金/モノ/地位/肩書き}によって、己の幸せが左右されますでしょうか?

彼は、地位や肩書きを失ったからとて、不幸になるでしょうか?
彼は、地位や肩書きを手にしたからとて、幸せになるでしょうか?
彼は、お金を失ったからとて、不幸になるでしょうか?
彼は、高級外車を手にしたからとて、幸せになるでしょうか?

彼は、「世の中が不景気だから幸せになれない!」と愚痴を言いますでしょうか?

心の仙人/仙女修行の各記事にあるとおり。

どんな状況であろうと「(心の中が)幸せな状態かどうか?」は、自分の価値観や{見方/認識の仕方/考え方}次第とも言えそうなのです。

知り合いのAさんは、140万円の新車の軽自動車に乗っていますが、ベンツやレクサスを見るたびに、「は〜、あんな良い車に乗れる人間もいる一方で、俺は軽自動車・・。」と愚痴を言います。

Aさんは、お金や所有物に価値をおく価値観や、「もっと!もっと!」という考え方を改めない限り、ベンツに乗っても、「は〜、Sクラスの高級ベンツに乗る人間もいるのに、俺のはEクラスの安物ベンツで・・」と愚痴を言うことでしょう。

知り合いのBさんは、30万円で買った中古のボロ車に乗っています。

ボロすぎて、シーツは割け、窓は開け閉めできませんし、車に鍵すらかかりません。

もちろんエアコンは使えません。

そんなBさんは、毎日楽しく車に乗っています。

Bさんは、お金や所有物に過剰なほどの価値の重きを置いていませんし、「車があるだけ、ありがたいよね。」という{見方/認識の仕方/考え方}をしているからでしょう。

心の仙人/仙女修行の各記事にあるとおり。

どんな状況であろうと「(心の中が)幸せな状態かどうか?」は、自分の価値観や{見方/認識の仕方/考え方}次第なんですね。

そして、自分の価値観や{見方/認識の仕方/考え方}は、変化させるのに時間がかかる場合もありますが、自分でコントロール出来るようです。

そのため「心の中の幸せ」は、全部自分次第でコントロール出来るでしょう?

だったら、@「幸せ」になる力は、自分がもっているとも言えそうです。
ですから本来は、幸/不幸の全責任は自分にあるのかもしれません。

もし不幸なら、幸せになるための頑張り・・

自身の価値観を、幸せになりやすい価値観に変えたり、{見方/認識の仕方/考え方}を幸せになりやすいものに変えたりする頑張りを、自分が怠っていることが原因でなわけで・・外部環境や他人のせいではないのかもしれません。



@「幸せ」になる力は、自分がもっているのか?
A「幸せになる力」を自分は持っておらず、自分は己の‘幸せ’すらも自分で獲得出来ない無力人間で、‘幸せ’は外部要因によって決まってしまうのか?

@とAでは、どちらが‘幸せ‘な人生になれるでしょうか?

〜ケース1〜


歩いていたら、肩をぶつけられた。

@ですと「肩をぶつけられた。」とは認識せず、「肩がぶつかってしまった。」と考えます。

自分に全責任があるから。

そのため、「自分の歩き方が悪いせいで、肩がぶつかってしまった。ごめんなさいね。以後、気をつけよう!」と考えます。

Aだと「最悪。肩をぶつけられた!」と被害者意識をもつことになります。

実際、肩がぶつかったのは、相手のせいかもしれませんね。

相手が、悪いですよね。

しかし、「自分が悪い。自分に責任がある。改善していこう!」と思わず「相手が悪い。相手のせいだ!最悪!」と思う思考回路では、一生、被害者意識をもって生きることになりそうです。

「肩をぶつけられた。私は可愛そうで運が悪い人間。最悪!」とイライラしながら生きていくことになりそうです。

@とAでは、どちらが‘幸せ‘な人生になれるでしょうか?


〜ケース2〜


運転していたら、いきなり車が故障しストップして、大渋滞を起こしてしまった。

@ですと「大渋滞を起こし、多くの方に迷惑をかけてしまった。」と考えます。

自分に全責任があるから。

そのため、「まあ、今回は事故に繋がらなくて不幸中の幸いだった。ありがたい。皆に迷惑をかけた分、他の部分で恩返ししないとな。」と考えます。

Aだと「最悪。車の整備担当者が、点検の時に手を抜いたからだ!」と被害者意識をもつことになります。

渋滞が起きて、多くの人に迷惑をかけたことに関しても「私は悪くない。むしろ、被害者なんだ!」と思っています。

実際、車の故障&ストップは、整備士のせいかもしれませんね。

整備担当者が、悪いですよね。

しかし、「自分が悪い。自分の責任だ。改善していこう!」と思わず「他人(整備士)が悪い。他人のせいだ!最悪!」という思考回路では、一生、被害者意識をもって生きることになりそうです。

「車が故障した。私は被害者で運が悪い人間。最悪!」とイライラしながら生きていくことになりそうです。

@とAでは、どちらが‘幸せ‘な人生になれるでしょうか?


どのように生きようが、それはもう、人様が決めることで・・

ただ、私はもう、@「幸せ」になる力は、自分がもっているのだから、今後、己の人生の幸/不幸の‘全責任’を自分でとると覚悟し、生きていくようになりました。

@の考え方の方が、幸せな人生に繋がるだろうからです。

もう、Aのように被害者意識をもち愚痴ばっかり言いながら生きていくのが、嫌だったからのです・・。



社会人になってからというもの。

ストレスの多い現状を、
「会社が悪いから、私は不幸なんだ。」
「政治が悪いから、私は不幸なんだ。」
「世の中が不景気だから、私は不幸なんだ。」
と、自分の不幸な原因を外部のせいにし、愚痴ばっかり言っていたのですが、もう辞めました。

己の人生の幸/不幸の‘全責任’を自分でとる!と覚悟していますから、現状の責任は、勤め先の会社のせいでも上司のせいでもないし、政治家のせいでも世の中のせいでもありません。

現状の責任は、全て、私にあります。


「実際にあるか?」は別として、私は、「現状の責任は、全て、私にある!」と自己責任の考え方を始めたわけです。

自己責任の考え方を始めると、大変です。

不幸な現状の責任は私にありますから、言い訳も言い逃れも出来ません。

しかし、そう考え始めると、ある意味・・やる気が出てきました。

人間という生き物は、受身的に「やらされている」「私は被害者だ。」と思っているとやる気が出ませんが、能動的に物事を捉え行い始めると、やる気が出る生き物だからでしょう。
関連元気が出る言葉

私は大人になって初めて、人生において、能動的に物事を捉え行い始めたわけです。全責任をとる覚悟のもと。

「全責任は自分にある」と覚悟すると、言い訳も言い逃れも出来ません。

これはある意味、逃げ道のない‘背水の陣’を敷いた状態でもあります。

そして‘背水の陣’は中国の故事ですが、昔の中国人も現在に生きる人間も、‘背水の陣’を敷くと底力が出るようで・・

すると、やる気や積極性、及び底力が出始め・・人生が少しづつ変わり始めていきました。



私達が幸せな人生を歩んでいくために必要なことは、現状の責任を、他人や外部環境のせいにし、「私は被害者だ。」と思うことでしょうか?

それとも、現状の責任は、全て、私にある!と考えることでしょうか?

現状の責任は、全て、‘私’にあります。
「実際にあるか?」は別として、私は、「現状の責任は、全て、私にある!」と考え始めたことで、人生が好転し始めたのでした。



Bまとめ 〜幸福/幸せと不幸の原因〜
「名無き仙人さんだから出来たんだよ。私には無理だ。」
そう。

私はハイクオリティーな絵も描けますし、そうなんです。なんてのは妄想で、現実は違いまして・・

エネルギー問題の解決策のとおり。

私達の目の前に広がる痛いほどリアルな4次元世界の現実の全ては、【同じ1つ】の現れであり・・

貴方様も私も、全人類全てが【同じ1つ】の部分、部分とも言えそうです。

全ての人が、この痛いほどリアルな4次元世界の現実を創造している創造者と同じ1つであり、同じ能力をもっているため・・

だからこそ、全ての人は寝て見る夢の中では、他人や風景も含め、夢の世界の全てを創造されています。
関連人生は夢(人生の正体)

最近、夢を見ましたでしょうか?

夢の中に出てきた、他人や風景は、誰が作り出したのでしょうか?

誰が、‘無’から【夢の世界】を創造したのでしょうか。

【夢の世界】と【現実の世界】とではルール(法則)が異なるため、創造の過程も異なるわけですが・・【現実の世界】のルール(法則)にのっとって行えば、私達は、なんでも創造出来るのかもしれません。

そもそも【現実の世界】を創造している創造主と、私達は皆、同じ1つなのですから。


「なんでも創造出来る能力をもっている!」
そんな私達ですから、
@「幸せ」になる力も、当然、自分がもっているわけで、その無限の‘力’を解放し、解き放つ鍵・・‘力’を解放する秘密のカギの1つは、現状の責任は、全て、私にある!と「実際にあるか?」は別として、そう認識し、考えることのようなのです。

そしてもう1つの秘密のカギは、現状の責任は、全て、私にある!と、己の人生の幸不幸に関する責任をとる覚悟を決めたうえで、上記で説明した【真実の情報】・・学校でも、社会人になってからも習う機会のない【真実の情報】・・

「全ては同じ1つ!」
「現実世界、及び夢の世界の真実」
「潜在意識の取り扱い方法」
「現実世界に覆いかぶさっている幻術の真実」

などの【真実の情報】を、うわべだけ知識として表面的に軽く知るのではなく、しっかりと潜在意識レベルで理解していくことのようなのです。


確かに絵の才能は、良いものをもっているのですが・・

その他に関しては、パッとしない私のような駄目人間が、お陰様で以前より積極的に人生を生きることが出来ている理由の1つは、【真実の情報】を元に、自分自身や世界を認識しているからのようなのです。

これが、私のパワーの源です。

私のパワーの多くは、【真実の情報】を元に、自分自身や世界を認識していることから発生しています。

【真実の情報】に関する揺るぎない確固たる理解が、私に絶え間なくパワーを与えてくれているのです。


「人間は猿から進化した動物の1種であり、劣った人間は、進化論的に淘汰されるべきだ。」→自分を好きになる方法(進化論は正しい?)

「資源も富も限りがある。豊かさを手に入れるためには、他人から奪うしかない!」→ブレイクスルー思考(豊かさには限りがある?)

「世の中、金だ!」→{世の中お金}への反論

「人は苦労して成長すべきだ!」→苦行は辞めなさい!(苦行の真実)

「自分さえ良ければ良いんだ!」→自分は自分は自分は自分は

そのような情報を元に、世界や自分自身を認識していて・・ですよ?

どうして、私達がもっている無限の‘力’が発揮されますでしょうか?

人間に、絶え間ない‘力’を与え続けるのは、牛肉や米ではなく、法則や原則にそった【真実の情報】のようです。

人間の本質が、肉体ではなく情報生命体だからでしょうか。

何十万〜何百万〜何千万〜何億もの人間が、牛肉や米は足りているのに、【真実の情報】が足りていないため病気になったり、うつ病になったり、元気が出ずに悩んだり、力を発揮出来ずに悔しい思いをしているようです。

人間の本質が、肉体ではなく情報生命体だからでしょうか。


私のパワーの多くは、【真実の情報】を元に、自分自身や世界を認識していることから発生しています。

私は、そのことを自分でわかっています。

ですから「名無き仙人だから出来た」のではないことも知っています。

私はただ、幸いなことに無限の‘力’を解放し、解き放つ鍵・・‘力’の秘密のカギを活用させて頂いた・・それだけなんです。


「じゃあ、私にも出来るかな?」
現状の責任は、全て、私にある!と、己の人生の幸不幸の全責任を、今後は自分でとっていく覚悟を決め、腹をくくり・・

そして【真実の情報】をコツコツとインプットしていけば、お世辞ではなく、きっと誰もがもっと、自分で満足出来る幸せな人生に、今よりは近づけていくと思いますよ。

ただもう、他人との{相対的な比較}を通して己の幸せを計るのは辞めたいですよね。

自由な生き方の名言/格言(相対性の罠から抜け出す)や、幸せの定義/基準にあるとおり、‘自分にとっての幸せ’を大事にしていけると良いですよね。

他人との比較を通して己の幸せを計りますと、たとえ無限の‘力’が解放されることで、現実自体が改善していくことになったとしても、なかなか自分で満足出来る幸せな人生に近づいていきませんから。

と長くなりましたが、そろそろ、今回の記事を終わろうと思います。



最後に素晴らしい書籍/完訳 7つの習慣 人格主義の回復に載っていた話を紹介させて頂きます。

7つの習慣内容まとめ!私の人生に起きた変化はコレ(7つの習慣の要約)

イギリスのある学校で、プログラミングの誤りから、コンピューターが生徒の成績を間逆に表示してしまい、そのデータがプリントアウトされ、新学期前に先生達に渡されました。
教師達は、間逆のデータをもとに、本来、成績優秀な生徒を「落ちこぼれ」と決め付けて接し・・本当は成績の悪い生徒を、「優秀な生徒」と思い込んで接し授業を行っていました。

5月後半になって誤りが発覚した後、テストを行ってみると・・本来、成績優秀な生徒の成績は下がっており、本当は成績の悪い生徒の成績は上がっていました。
先生達はこの2ヶ月、先生が貰った誤ったデータによると成績優秀なハズの生徒が、自分の教え方では理解してくれないために・・「あれ?おかしいな。自分の教え方が悪いんだろうな。」と思い、教え方を改善することに専念したそうです。

つまり、生徒の理解力の原因を、「生徒のせい」にするのではなく「自分の(教え方の)責任」と捉えたのです。

そして教え方を改善することで、成績の悪い生徒の成績が上がったのです。


生徒である優輝君(15歳)が、潜在的にもっている無限の‘力’を解放し活用したいのであれば・・

「先生の教え方が下手だから、僕の成績は上がらないんだ。」と‘教師の教え方‘が悪いせいにするのではなく「成績の悪い原因は、僕にあるんだ!」と 【現状の責任は、全て、私にある!】と「実際にあるか?」は別として、そう認識し、考えると良いですよね。

そうすれば無限の力が解放され始め、優輝君は、もっと勉強に本気で取り組むようになり、自ずと成績も上がっていくことでしょう。


教師である田中先生(45歳)が、潜在的にもっている無限の‘力’を解放し活用したいのであれば・・

「生徒の理解力が悪いから、生徒の成績は上がらないんだ。」と理解の悪い生徒のせいにするのではなく。

「生徒の成績が悪い原因は、私にあるんだ!」と 【現状の責任は、全て、私にある!】と「実際にあるか?」は別として、そう認識し、考えると良いですよね。

そうすれば無限の力が解放され始め、田中先生は、もっと本気で指導に取り組むようになり、授業内容なども改善していき、自ずと生徒達の成績も上がっていくことでしょう。


私達の人生には、様々な「問題だ!」と思われるような出来事が現れます。

さて、現在、私達が抱えている問題の原因は、他人や外部環境にあるのでしょうか?

彼氏や彼女、妻や夫の態度や考え方が、問題の原因でしょうか?

職場の同僚や上司の態度や考え方が、問題の原因でしょうか?

世の中が不景気であり政治が悪いことが、問題の原因でしょうか?

それとも、問題の原因は、自分自身にあるのでしょうか?


現状の責任は、全て、私にある!

と「実際にあるか?」は別として、そう認識し、考えることによって・・私達が潜在的にもっている無限の‘力’が解放され始めるのですから、おもしろいものですよね。



・・と偉そうに、長々と大変失礼致しました。

ありがたいことにお陰様で、人生が好転し始めてからというもの、同時に少しづつ調子にも乗りはじめ謙虚さが欠如してしまうことになり、自分は未熟者であるにも関わらず「偉そうな記事の書き方」をすることになってしまっていて、いつも、本当に申し訳ございません。
人間性が未熟だから調子にのって偉そうなことを言い始めるわけですが・・(TдT)

少しでもお役に立てる記事を書いていけるよう精進していければ、と思っています。

最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。感謝しています。


〜追伸〜
不幸な人生の原因を責任転嫁する人の心理には「私のせいではない!」という責任から逃れたい気持ちが隠れているようです。

嫌なことからは、誰しもが逃れたいですものね。

でも、不幸が原因で辛い感情を味わうのは自分自身であり、そこは責任転嫁しても、誰かと変わってもらうことが出来ません。

であるならば、嫌なことから逃げずに、状況を改善していくのも良さそうですね。

詳細は嫌なことから逃げる人の2つの心理(嫌なことから逃げないコツ)にて。

<writer 名無き仙人>


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バス男「幸福/幸せと不幸の原因かぁ。」


バス子「楽しい幸せな人生になっていくと良いわね。」


仙人「失礼な記事の書き方となっているものが多くて・・申し訳ないのぉ。関連記事としては、器の小さい男と大きい男の特徴や違い!私の経験談(器の大きさの違いとは?)や、かっこいい男の特徴と生き方!生き様が見た目に現れる(生き様が見た目に現れるよ)もお勧めじゃよ。」


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